南砺市の魅力
- Blog -
伝統のこと

「福光麻布」かつての福光を支えた生活の布

南砺市の反映を支えた「福光麻布」。その歴史的背景と現代への継承についてまとめました。胸がアツくなっちゃいますよ!

皆さん、こんにちは
なんと南太郎です。

 

弊社スタジオパールでは富山県南砺市利賀の大自然から生まれる“脇谷の水“を販売している地元の企業です!産まれも育ちも富山県南砺市の社長が地元を愛す思いからこの商品は開発されました。

 

商品紹介はコチラ

 

そんな社長が愛す南砺市を全国の皆さんに伝えるため、この「南砺市の魅力」ページでは南砺市の伝統的なお祭りや、新生グルメスポットまで南砺市に関する情報を幅広い角度からお届けします。

 

「南砺市、アツいじゃん」
皆さんにそう思ってもらえるよう日々更新をいたします。どうぞ、よろしくお願いします!

 

突然ですが皆さん、南砺市はかつて「織り文化」が盛んだったことはご存知ですか?
「福野の綿」「城端の絹」「福光の麻」この3つは南砺市の産業や文化の発展の礎なったと言われているほどです。

 

今回から全三回に渡って、南砺市の織り文化についてご紹介をしていきます。
第一回目の今回は「福光の麻」をピックアップ!
福光の麻について研究をしている”福光麻布の会”のメンバーである柄崎さんにお話を伺ってきました。


 

福光ってどんな場所?

まずはじめに福光とはどのような町なのでしょうか?

 

自然と歴史が詰まった福光

南砺市福光地区は富山県の西南に位置します。
西には医王山、東には小矢部川を構えた自然が豊かな町です。

 

江戸・明治時代の屋敷が今なお残り続ける情緒あふれる商店街、新町通り。
小矢部川の両端2キロに渡って桜が咲き誇る、小矢部川河川公園。
300年前から続く神事を今に継承する祭り、ねつおくり七夕祭り。

など自然と歴史が詰まった町になっています。

 

ねつおくり七夕祭りはスタジオパールでも取材を行いました!


こちらもオススメ!
「福光ねつおくり七夕祭り」300年以上続く超歴史的な神事

 

福光は産業で栄えた町

産業面では江戸から明治にかけて麻布、生糸生産の産地として海外の視察を受け入れるほどの先進地でした。
今では糸や布の産業は衰退し、伝統工芸とし伝えられることに留まっています。

 

昭和期に入ると、木工業が盛んになり、特に野球の木製バットは70%を超えるシェアを記録したこともあります!
現在もバットの国内シェアは50%を維持しています。
福光のバットがプロ野球で使われているかも、、、

 

また、世界的に有名な板画家である棟方志功が戦中・戦後の7年間を過ごしたことでも有名です。
棟方志功の作品が楽しめる福光美術館にはスタジオパールでも取材に伺っていますよ!


こちらもオススメ!
「福光美術館」南砺市の芸術の発信地はココにあった

 

福光と麻布

日本人は縄文の太古から麻と深く関わりがあります。
自給自足で衣料を作り、年貢として収めるために基準が定められた麻布を織ることで人々の生活には麻布が根付いていました。

 

江戸時代に入ってから技術に花が開き、上質な麻布が大量かつ商業的に織られるようになりました。
そんな中、麻布を扱う福光の商人が有力者となり、南砺市福光を含む砺波地方で織られる麻布が福光麻布という名前で世の中に広まっていきました。

 

福光麻布の特徴は糸にアリ

福光麻布は上布と言われるような着尺用の布地ではなく、生活の布です。
特に寺社や神社との関わりが大きく、日本の伝統の一端を担っていた布であることをイメージして下さい!

 

そして、福光麻布の特徴は大きく分けて2つあります。
1つ目は手績みの糸を使用していることです。

 

「手績み」とは、苧と呼ばれる植物の茎からとれる糸の原料を細かく裂き、繋いでいくことで、糸にすることを指します。
この「手績み」の技術は当時の女性たちが稼ぐための仕事の一つでした。

 

しかし昭和30年頃から徐々に手績みする女性が少なくなり、昭和40年代には手績み糸を使用した麻布は福光麻布と奈良晒のみとなりました。
残念ながら、現在手績みの技術保持者はいません。

 


2つ目の特徴は緯糸の原料に大麻を使用していることです。

 

大麻と聞くとビックリしてしまう人も多いかもしれませんね。。。笑
大麻の繊維は英語ではヘンプと呼ばれます。この呼び名なら聞いたことがある人も多いのでは?

 

大麻は数ある麻の中でも抗菌性・消臭性にがとても高い素材です。
日本で麻と言われている布のほとんどはリネンやラミーといった原料が使用されています。
強度は綿の8倍、耐久性は4倍の強度を持っており非常に丈夫になります。

 

福光麻布の歴史

「福光麻布」の起源は古く、平安遷都の際に御霊場建立のための進物用として織らたのが始まりだと言われています。
南砺市福光を含む砺波地方で産出した麻布は「越中布」の名で知られ、加賀藩政期頃には生産地が福光町周辺にだんだんと移り「福光麻布」と呼ばれるようになりました。

 

1818~30年ごろには年間4万反つまり着物4万着分もの麻布を生産していました。
その時代の生産力でそれほどの布を織ることが出来たことに驚きですよね。

 

宮中の御用布として天皇の即位や崩御の儀式にも用いられ、昭和天皇の大喪の礼における装束全てが福光麻布で作られています。
しかしながら、昭和天皇の大喪の礼の布地を最後に福光麻布の供給は途絶えています。

 

福光麻布の手績みの糸が出来るまでの流れ

それでは手績みの糸が出来るまでのステップを写真でおって行きましょう。

 

まずはコチラが原料となる大麻の茎です。

 

茎を細かく裂いていきます。

 

そして更に細かく裂いていくとこのような細い繊維になります。
この後に、人肌より少し熱い米のとぎ汁に浸し、影干しをする精錬と呼ばれる作業を行います。
あく抜きのような意味を果たし、繊維に艶を出します。

 

更に裂く作業を続けるとこの様に仕上がります。

 

そして、この繊維を紡ぐことで手績み糸が完成します。

 

福光麻布の会について

今回の記事は福光麻布の会にインタビューを行い制作させて頂きました。
福光麻布の会は「福光麻布を多くの方へ知ってもらいたい」という理念のもと活動している団体です。

 

自分たちで績んだ糸でコースターを制作、北陸銀行で2年連続で活動の展示など、南砺市内で積極的に活動を行っています。

 

「福光で生まれ一時は途絶えてしまった、福光麻布を次の世代に繋ぐ」
とても素晴らしい団体ですね!

 

活動の様子はfacebookでも発信されています。
興味を持たれた方はそちらも確認してみて下さい。

 

facebookページはコチラ

まとめ

いかがでしょうか?
福光麻布がどのような布でその思いを継承しようと動いている方の熱い想いを感じることができましたね。

 

スタジオパールでは南砺市の伝統的文化の継承を応援しています!
弊社の商品「利賀の脇谷の水」も名水を後世に残したいという思い出で開発されています。

 

イベント・会議での発注も大歓迎しております!詳しくは、スタジオパールにお問い合わせください。

 

お問い合わせはコチラ
商品紹介はコチラ

 

それではまた次回!!
なんと最高!!